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マラソンゼミの発表「身体としての人間の”健康”と自然」で挙がった論点まとめ ウェルビカミングについて 「自己回復の循環生成」と「活力の循環生成」とは身体的な循環という意味で同じではないか。どうちがうのか。 →森下さんのいう「自己」とは何か →「活力」が要素的で「自己回復」が全体的?(亀山先生) 「身体の活性化」仮説について 「身体の活性化」は結構だが、現実には楽で便利な(いわば「身体的に不活性」な)生活を好み満足している人も多い。なぜ人は「不活性」な生活の方に惹かれるのか?(仮定②) →「自己回復の循環」が全体的なものだとすれば、「身体の不活性」は「私の身体」そのものの危機、ということになる? 「身体の活性化」の方法について、自然はone of themか?(仮定③) →自然との身体的関わりを敢えて強調するのはなぜか?(そこにある生命とのかかわり) →仮想現実が現実と変わらないほどに発達したら? その他 「身体的関わり」にも様々な程度がある。その区分けの必要があるか? ◎ほかにも何かあれば、ぜひご意見をお願いします。
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4.何が環境運動の〈成功〉を支えるのか 4-1.環境運動の制度化の功罪 九十年代までの戦後日本の環境運動の推移を概観するなかで、〈ステレオタイプになった告発・抵抗型運動という文化的フレーミングの変更〉と、〈リスクの回避が実質的にリスクの深刻化に結び付くという構造的緊張の連鎖を防ぐための、時間的・経済的・精神的余力の確保〉が、環境運動の〈成功〉においても、地域住民にとっても、重要であることが整理できた。環境思想は、果たしてここから何を導き出せるだろうか。つまり、環境運動の〈成功〉を支えるのに必要なだけの最小限綱領を、何として提示することができるだろうか。 まず、最小限綱領と考えられている一方でそうではないものとして、環境NPO・NGOの制度化をあげる。環境NPO・NGOへの期待は様々な論者から提起され、日本では北米に比べてNPO・NGOに関する制度が十分に整備できていないことが批判される(諏訪、一九九六 他)。 確かに、北米の環境NPO・NGOでは研究者・弁護士・ジャーナリスト・コンサルタントなど専門的なスタッフが重要な役割をはたしている 。制度化のもとで、環境NGO/NPOは、政策決定過程に大きな影響力を発揮する。ただし環境運動が制度化し,政治的影響力を増大させることは、圧力団体化もまた意味する 。また、現在は、諸個人の苦悩の共通性を一つの集合としてまとめることは困難であり、政治的な力は醸成されにくい傾向があるとバウマン(二〇〇一)は指摘している。専門家システムの高度化の中で、一部のエリートだけがシステムを設計して動かし、大衆はその内部で動物化する可能性を、環境NPO・NGOの制度化は常にはらんでいる。 +北米の環境NPO・NGOの専門スタッフ 北米の環境NPO・NGOの専門スタッフは、大企業主導的な社会に対抗するカウンター・テクノクラートとしての機能をはたしている。また、彼らは、政府や行政、企業に転じたり、それらの組織の出身者であったりもする。これら専門的なスタッフは一般市民の意見を水路づけ、専門知識の枠組みのなかに位置づけなおして行政のなかに取り入れやすくし、同時に専門用語や法制度を住民にわかりやすい言葉に置き換えて説明するファシリテーターとしての機能もはたしている。 また、環境NGO/NPOの肥大化した組織それ自体の自己維持化、既得権益化、官僚制化とビジネス化の弊害などが指摘されている(寺田、一九九八)。 4-2.「信頼」を支えるものとしての風土の意義 ここで、文化的フレーミングの変更においても、最適な政治行動に関する熟慮においても、共通する討議のプロセスに着目する。「コミュニケーションの再帰性」を評価し、それによる社会を構想するドイツの社会学者ハーバーマスは、コミュニケーションは権力によって動かされたり支えられたりするのではなく、コミュニケーションの内部でコミュニケーションの正当性が承認され、互いの合意が成立すべきであると、コミュニケーションにおける再帰性を重要視する。しかしその一方で、行為内部で正当性を承認し合うとするコミュニケーションの根幹には相手への「信頼」という変数を導入している。「信頼」は、再帰的な行為の対象ではなく、コミュニケーションの前提とされている 。ハーバーマスの対話倫理を基礎づけとする環境倫理学を構想する亀山純生は、環境思想の根源的な規範を「地域の自然との関係において風土が確保されていなければならない」(亀山、二〇〇五:一五五) と述べる。この規範は、社会生活やコミュニケーションそのものを支える「信頼」をもつことを生得的なものとしたり、議論の前提にしたりはできないという現状と呼応しており、それらを社会的に構成されるべきものとして考察し、自然物との関係性を含んで構想する必要に裏付けられている。風土論の内実と、今回の九十年代までの環境運動の展開の接続に関しては、また機会をあらため、考察したい。
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亀山社中の秘伝のタレ漬け焼肉セット。 ハラミ、カタロースは、華咲きカットと氷点下熟成加工を施しています。それぞれの食感をお楽しみ頂けます。また、亀山社中の秘伝のタレに漬け込みました。濃いめ、少し甘めの味は ご飯のおかず、ビールに相性ピッタリです。 亀山社中 タレ漬けセット 華咲きハラミ&華咲き肩ロース 3.9kg http //mokomoko.yokochou.com/yakiniku/343196.html
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■基本テーマ 首都圏(定住)生活者にとって、農業とはどのようなイメージを持ちうるものなのか ■太田の研究発表に関する課題 「価値析出」とはどういうニュアンスの言葉なのか? 農業へのIターン者だけではなく、林業へのIターン者についても、余裕があったらモチベーションの調査をしたい。 Iターンの第二世代、70年代に学生運動のあとで農村に向かった人々は、何に「絶望」(亀山先生)したのか? 〈農〉の思想における、継承性の位置づけについて。(誰の、何に対する、どのような、負債を負っているのだろうか) テーマ 「〈農〉の思想にふれるためには、農業体験だけではダメだ」というメッセージでは、体験は前提となっている。そうではなく、「〈農〉の思想は、農業体験とは別の水準にあり、二つは相互に関連しあいながらも、前者は後者を前提とはしない」という方向で。 テーマ 和辻の議論も、〈農〉の思想のなかにマッピングすること。 〈農〉の思想の研究蓄積をまとめること。→農本主義 ■研究発表を聞いていて思い当たった課題 3.11以降、「成長の限界2.0」が現実のものとしてはじまったこと。否応なしの脱成長de-growthとセルジュ・ラトゥーシュ コミュニケーションの不在としての現代的問題――それでは、“問題のないコミュニケーション”があるということに?? バカな。 木村敏『あいだ』についてアップすること。
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「富士山」世界文化遺産登録の意義 ~富士信仰の歴史とこれから~(仮) 【章節構成】 はじめに 問題意識と全体の流れについて 序章.世界遺産登録に向けた取り組みの現状と課題 1.世界遺産登録に向けた取り組み 2.世界遺産とは何か 3.信仰の対象としての富士山 1章.富士信仰の歴史と背景 1.中世の富士修験 2.近世の富士講 ☆3.廃仏毀釈と国家主義的イデオロギーの形成 4.現代人の富士山とのかかわり 2章.現代人にとっての富士山の価値 1.私にとっての富士山の価値 2.静岡・山梨県にとっての富士山の価値 3.日本にとっての富士山の価値 4.世界遺産登録を目指すうえでの富士山の価値 5.それぞれの価値の比較 3章.愛着記憶と「経験」 1.愛着記憶とトポフィリア 2.愛着記憶の形成とその構造 3.場所の「経験」の様式 ☆4.愛着記憶の形成に必要な「経験」とは 4章.富士信仰のこれから ☆1.感情移入と欠如 ☆2.現代日本の宗教観 ☆3.実践としての宗教観 ☆4.「経験」様式による二つの宗教観の比較 ☆5.実践としての富士信仰 おわりに 世界遺産登録によって後世に伝えたい「富士山」とは 全体の流れ 今まさに世界遺産に登録されようとしている「富士山」。しかし、環境保全上の問題などから、その登録については慎重な意見もある。一方で登録に対して賛成の声も多く、登録に向けた準備は着々と進行している。世界遺産に登録される日はそう遠くないかもしれない。そこで、富士山を世界遺産に登録する意義について研究することにした。 序章ではまず、世界遺産登録に向けた取り組みの現状を確認するとともに、そもそも世界遺産とは何か、その理念や登録基準などに触れながら、制度の概要を示す。そのうえで富士山の「信仰の対象」としての側面に注目する理由を述べる。 キーワード:世界遺産、信仰の対象 1章では、富士信仰の歴史と背景について時代を追って整理する。中世的な修験から、近世の講組織を基盤とする信仰、そして明治期の廃仏毀釈令以後の国家神道と結びついた富士信仰を経て、現代までにどのように信仰が変化していったか、主に岩科(1983)の『富士講の歴史 江戸庶民の山岳信仰』を参考にしながらまとめる。さらに、出口(1995)らによって「信仰心が失われた」と指摘される現代の人々と富士山とのかかわりについて検討する。 キーワード:富士講、信仰心、精神世界のコスモロジー 2章では、前章で整理した富士信仰の歴史および現代人の富士山とのかかわりをふまえ、現代人にとっての富士山の価値について考える。しかし、いきなり現代人にとっての富士山の価値を考えるといっても、あまりにも漠然としているため、より身近なところから徐々に範囲を広げていく方法をとる。まず富士山麓で生まれ育った筆者自身にとっての個人的な富士山の価値、次に富士山が位置する静岡・山梨両県にとっての価値、その次に日本にとっての富士山の価値、そして世界遺産を目指すうえでの富士山の価値を示す。また、それぞれの視点から示した富士山の価値を比較する。 キーワード:価値、愛着記憶 3章では、2章のキーワードとして出てきた「愛着記憶」に焦点を当てて、その形成や構造について、トゥアン(2008)の「トポフィリア」という造語と照らし合わせながら分析する。分析にあたってはレルフ(1991)の「場所のアイデンティティ」の議論の枠組みを用いる。さらに「場所のアイデンティティ」の議論に対応する「場所の経験の様式」を参考にしながら、愛着記憶を形成するために重要な「経験」を定義する。 キーワード:愛着記憶、トポフィリア、感情移入 4章では、3章の感情移入の性質について示した後で、再び富士信仰の話に戻る。まず現代日本の宗教観の特徴をまとめる。そのうえで、前章で定義した「経験」の話と重ねながら、亀山(2003)の「実践としての宗教観」を基に富士信仰の現代的意義を示す。 キーワード:感情移入、欠如、実践としての宗教観 最後に、世界遺産に登録することによって後世に伝えたい「富士山」とは何かを述べて、富士山を世界遺産に登録する意義を結論づける。 2012/10/15亀山ゼミ 個人発表 感情移入 発表者:梶原美沙 1.愛着記憶の形成に必要な「経験」 愛着とは「慣れ親しんでいる人や物に心をひかれ、はなれがたく感ずること」であり、そのように心をひかれ、はなれがたく感じた記憶の蓄積が愛着記憶である。トゥアンにより「物質的環境と人間との情緒的なつながり」と定義されたトポフィリアは愛着記憶とほぼ同意である。いずれにしても‘感情’や‘情緒’を含むという点が、これらの言葉の意味の重要なポイントである。したがって愛着記憶の形成に必要な「経験」とは、感情をともなう経験であるといえる。 そこで、レルフ(1975)が提唱した「場所の経験様式」のうちの一つである「感情移入的内側性」に焦点を当てる。感情移入的内側性とは「場所への感情的な参加とかかわり」であり、これについてレルフは次のように述べている。(『場所の現象学』P.140) 場所の『内側』に感情移入的に入り込むことは、場所を意味に富むものとして理解することであり、それと一体化することである。なぜなら場所の意味は、その場所を共有する人々の経験と象徴に関連するだけでなく、自分自身の経験から生まれるものだからである。 さらに、レルフは「場所にただ物理的に存在すること」を示す「行動的内側性」という経験様式にも触れながら、感情移入的内側性の性質を示している。(『場所の現象学』P.139) 感情移入的内側性と行動的内側性との間には明確な違いはなく、あるのはむしろ、外見上の特質への関心から場所への感情的ないし感情移入的なかかわりまでの、連続的な移り変わりである。 つまり、感情移入的内側性はいつでも生じるものではなく、それを感じて理解しようとする能動的な努力が必要なのである。感情移入的内側性と行動的内側性を正確に分けることはできないが、両者を区別する唯一の指標は、心を開こうとする能動的な努力が認められるか否かであるということになる。 2.感情移入的内側性と欠如の意識 レルフは経験様式を分類するにあたり、文化人類学者とその研究対象である文化との同化のレベルの3類型(P.バーガー、1971)を参考にしている。 その類型とは、①「行動的」(感情に動かされない観察者でありつつその文化の諸活動に参画している)、②「感情移入的」(行動的だけでなく感情的にも文化の諸活動に参画するが、その文化の完全な構成員ではないという自覚をもつ)、③「認識的」(その文化の完全な構成員になりきる)の3つである。①は行動的内側性、②は感情移入的内側性、③は実存的内側性(場所への完全で無意識的なかかわり)の経験様式にそれぞれ対応していると考えられる。愛着記憶を形成する、感情をともなう経験様式には、感情移入的内側性および実存的内側性があてはまるだろう。 ここで注目すべきは、自らの‘視点’とその‘自覚’である。まず行動的内側性は、感情にうごかされない観察者としての視点をもち、観察者の視点にあるという自覚をもつ。一方、実存的内側性は、構成員としての視点からありのままの感情をもち、また自らを構成員として自覚する。そして感情移入的内側性はというと、構成員の視点からの感情をもつにもかかわらず、観察者としての自覚をもつ。つまり感情移入的内側性においては、視点と自覚がちぐはぐになるのである。 このように視点と自覚の間にズレが生じる原因は、感情移入的内側性が‘欠如’の意識をともなうためである。それは、その場所の意味やアイデンティティを自分はまだ十分に理解できていないという感覚である。感情移入的内側性では欠如の意識をともなうからこそ、感情移入によって場所の内側に入り込み、その意味を深く知ろうとするのである。これに対して、実存的内側性ではすでに意味を十分に理解しているはずであるし、行動的内側性では十分に意味を知らなくて当たり前だから、そもそも‘欠けている’とか‘足りない’という意識をもたないのである。それゆえに「感情移入的内側性を通して経験された場所のアイデンティティは、行動的内側性だけを通して知った場所のアイデンティティよりも奥深く豊かである」(『場所の現象学』P.141)のだろう。 富士山を信仰していない人でも、このように欠如の意識をもって意味を深く理解しようとすれば、富士山を神聖なものとして経験することができるかもしれない。 3.「経験」様式による二つの宗教観の比較 亀山(2003)は、唯物論の新しい視座から、「実践としての宗教観」を提起した。その際、従来の通説的な唯物論を「認識論的主義の宗教観」として次のように区別した。 ■認識論主義の宗教観:客観的認識を基軸にして宗教を理解する ■実践としての宗教観:諸個人の生の営みを認識の真偽・科学的認識を原理として理解する これらの宗教観にレルフの経験様式をあてはめれば、「認識論主義の宗教観」は行動的内側性に、「実践としての宗教観」は感情移入的内側性にそれぞれ対応するだろう。外見ばかりに注意をはらい、場所にただ物理的に存在することを示すのは、科学的・客観的な認識を絶対視する宗教理解に似ている。また、感情移入によって場所の意味を理解しようとするさまは、諸個人の生の意味づけを原理とする宗教理解と似ている。 これと関連して、トゥアン(1971)の「経験することを保証するには、肉体的にそこに存在するということが必要かもしれないが、それは十分条件ではない」(『トポフィリア』P.190)という指摘もまた示唆に富んでいるように思う。 参考文献 エドワード・レルフ『場所の現象学』高野岳彦・阿部隆・石山美也子訳 筑摩書房 (1991) 亀山純生『現代日本の「宗教」を問い直す――唯物論の新しい視座から』青木書店 (2003) イー・フー・トゥアン『トポフィリア――人間と環境』小野有五・阿部一訳 筑摩書房 (2008) ゼミの皆さんにいただいた質問・意見 ◆【章節構成】の4章1節の「感情移入と欠如」では、感情移入の話はなく、あくまで「感情移入的内側性の話なので、「感情移入的内側性と欠如」の方がよいのでは? →もっともな指摘。【章節構成】の☆部分は特に、まだはっきりと決まっていないので、タイトルについても内容についても今後もっと考えていくつもり。 ◆‘欠如’とは具体的にどういうものなのか?何が欠如しているということか? →欠如の内容は人それぞれちがう。また、本人も何が欠如しているのか理解していない。漠然とした‘何かが足りない’という感覚である。 ※欠如ついては『現代日本の「宗教」を問い直す』(亀山、2003)のP.179~221参照。 ◆(実存的内側性において、自分が構成員であると)‘無意識的に自覚している’状態とはどういう状態を指すのか?意識と自覚の矛盾についてどう折り合いをつけるか? →人はそれぞれの経験様式の間を行き来しており、何度も行き来を繰り返すことによって、自分が構成員であるということを深く無意識的に自覚していくのだと思う。 実存的内側性にある自分は、自らが構成員であるということに無意識であるけれども、観察者としての自覚をもつ、感情移入的内側性ないし行動的内側性の自分との比較によって、自分が構成員であるということを自覚する。 ◆3つの経験様式(実存的内側性、感情移入的内側性、行動的内側性)の典型的タイプを考え、具体例を示すべき。 →次回までに考える。その際、Aさん=実存的内側性、Bさん=行動的内側性、と‘人物’によって判断するのではなく、場所のアイデンティティの複合性を考慮しつつ、あくまでどういう‘状態’にあるかによって判断する。 ◆パワースポットツアーに参加する人々は感情移入的内側性の典型タイプと言えるのか? →鋭い指摘。この指摘も念頭におきながら、次回までに典型例を示したいと思う。
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第十一章 日本における環境思想の系譜(P.228-239) 2011.6.15 亀山研4年ゼミ 輪読 海上知明『環境思想 歴史と体系』NTT出版,2005 発表者:菊地明暢 ※(補足)は発表者による。 1 自然と経済 ○「日本文化の伝統とは、その同化力とともに神道と仏教も含んでいる」 =アニミズム的世界観と内面回帰の哲学 ○天武天皇(在位673-686) 『古事記』(712)、『日本書紀』(720)の編纂を始め、天皇の「万世一系」支配を正当化 ↑中国の革命思想への警戒から 仏教の影響から、肉食禁止令を出す(→家畜利用を縮小→疫病発生減、里山利用、人糞堆肥化) →山林がアニミズムの信仰対象、肥料採集地、保水地としての役割を担うようになる +補足:日本における神話 日本における神話 旧石器時代から縄文時代に始まり弥生時代に大きく発展した日本の原始神話によれば、自然界のあらゆる現象にはヒ、チ、ニ(ミ)=タマ(霊魂)が宿り、ある威力をもって人間生活に影響を与えるとされていた。 縄文後期以降、焼畑農耕や稲作が大陸から伝わるとともに新たな宗教儀礼・神話も伝来し、弥生から古墳時代にかけて農耕と結びつく大規模な宗教儀礼が発達した。 天武・持統天皇の時期に、天皇家とその周辺の知識人が中心となって、このような原始以来育まれてきた神話的思考を引き継ぎつつ、支配者的思考様式のもとに、イデオロギッシュに古典神話を再構成した。(岩崎,1991) また中国の革命思想とは「易姓革命」のことである。「姓を易(か)え命を革(あらた)む」の意味で、王室が天命にそむき失政が続けば、天その地位を奪い、他姓の有徳者を天子とする、という思想(revolutionの意味はない)。これに対して、岩崎(1991)によれば、『古事記』や『日本書紀』では天皇家の血縁性や「歴史性」を強調し、天皇家による支配を正当化している。 2 仏教の隆盛 ○聖職者における内面回帰 日本仏教は「悟り」のテクニック:真言が導入されていた点で特徴的 →鎌倉仏教:日蓮「南無妙法蓮華経」、法然・親鸞・一遍「南無阿弥陀仏」 鎌倉仏教の中でも禅宗は心の内面に入ることを直接の目的としていた →臨済宗の公案、曹洞宗の座禅 +補足:親鸞について 親鸞について 親鸞(1173-1262)は、徹底して民衆の立場に立ち、当時の腐敗した体制的仏教を厳しく批判した仏教者であった。彼の師、法然(1133-1212)は、造像起塔、持戒自律など当時「善行」とされ貴族・僧侶などに広まっていた行を、多くの貧しく厳しい生活をおくる民衆にとってはまったく縁のないものとして切り捨て、誰にでも行える易行(えきぎょう)である念仏に専念することを唱え(専修(せんじゅ)念仏)、浄土教をひらいた。親鸞はこれを受け継ぎ、それをさらに進めた。 親鸞のいわゆる「悪人正機説」は、農民からの収奪によって安泰の生活をして「善行」を行う貴族・僧侶といった「善人」ですら往生できるのだから、日々圧制に苦しみ煩悩を持ちながら生活する「悪人」たる民衆が往生できぬはずがない(「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」)という思想であり、当時の善悪の価値観を覆す革新的なものであった。 また親鸞は、あるがままの自分すべてを超越的な弥陀にゆだねるという絶対他力の信仰から、自然法爾(じねんほうに)という思想に達する。これはすべてを他力にゆだね、自然のままに人間らしく生活することが弥陀の本願なのだとする現実肯定の思想である。 3 鎖国―エコシステムの完成 ○江戸幕府体制 「いかに長く日本を支配していられるか」⇒技術・経済・交通の発達を抑止 →国内でエネルギーが循環する閉鎖社会へ(リサイクル社会) ○徳川綱吉(在職1680-1709) 動物解放:「生類憐みの令」←仏教や儒教的「徳」 →人間がないがしろにされたわけではない(弱者保護:捨て子禁制」「道中病人処置」) 4 熊沢蕃山と安藤昌益 ○熊沢蕃山(1619-1691) 「儒教エコロジー」=「天人合一」と「仁政」 「天人合一」: 「人間は天地によって生み出されたものであるが、他の生物と異なり天地の創造を助ける存在でもある。したがって、私利私欲にとらわれることなく、創造に協力しなければならない」 「仁政」: 人間社会の乱れ=自然に則していないため →「山川は天下の源也」治山治水 「自然の声を聞く」というよりも「その土地の自然を知る者の声を聞く」 ○安藤昌益(?-1762) 「自然ノ世ニハ治モ無ク乱モ無ク唯平常ナリ」(『自然真営道』) 「直耕」: 直接に田畑を耕し生活するという意味に加え、自然の営み・摂理を指す(「自然直耕」、自(ひと)り然(す)る) 仏教・儒教など宗教を含む過去の思想 ↑自然や社会の捉え方において「二別」(上下、尊卑、差別)を持ち込み、「不耕貪食」の徒が支配する社会を正当化してきた 「互性」(互いに区別されながらも対等に互いの性質を受け入れた相互協力の関係)からすべてをみること、すべての人間の多様性と平等性(「万万人にして一人」)を主張(『環境思想キーワード』) 理想=自然の摂理に従い万人が直耕する社会 5 明治以降の状態 ○南方熊楠(1867-1941) 若いころ大英博物館に勤務、西欧「エコロギー」を学び、民俗学や生物学にも明るい →文化的・自然保護的視点から神社合祀に反対 (地域の協同生活の場の解体、神社の廃止に伴う森林伐採) ↑南方にとって、これらは全体的な環境破壊として捉えられ、批判された(『環境思想キーワード』) ○今西錦司(1902-1992) 生態学者。京都帝国大学農学部で昆虫学を学ぶ ダーウィン進化論を批判 ↑適応の単位を種とみなす=突然変異は種全体に起こる ↑種全体での棲み分けにより秩序をもって進化が起こる=生存闘争の否定 生物と環境を一体のものと捉え、環境は生物自身の「身体の延長」であり、逆に生物の身体は「環境の延長」で、もともとひとつのものが分化したとする →この上で生物の環境への主体的な関わりを強調=「環境の主体化」(『環境思想キーワード』) 近年人間では身体外の進化=分化の進化が加速 →文明の画一化・均一化(多様性・複雑性の否定)による滅亡の危険があるとする +補足:近現代の代表的な環境思想家 近現代の代表的な環境思想家 ○田中正造(1841-1913) 明治期の政治家・社会運動家。足尾銅山鉱毒問題に携わり、議会活動によって被害民救済と銅山の操業停止を訴えた 「水系一貫の思想」:治水・治山を重視、低水法⇔西洋式治水・堤防万能主義 ↑彼の自然観・人間観「万物の奴隷でもよし、万物の奉公人でもよし、小使でよし」「万物万物に反きそこなわず、元気正しく孤立せざること」 ○和辻哲郎(1889-1960) 「風土」を哲学的理論的用語へと転換: 「風土」=「主体的な人間存在の表現」であり、「風土の型が人間の自己了解の型」 Ex)「寒さ」は客観的な気温ではなく、その土地の住居や服装、身のこなしなどに現れる地域の共同経験としての人間のあり方 →風土を自然との人間の共同的かかわりと捉え、自然を人間的文化的刻印を帯びたものと見る視点、技術・生活様式・振る舞いとして自然と関わる人間という視点 →日本・東アジア「モンスーン型」、中東「砂漠型」、西欧「牧場型」に類型化 ↑類型の非実証性、自らに矛盾して自然条件決定論に陥っているなどの問題点 ○亀山純生(1948- ) 実践的倫理の立場から、和辻風土論を批判的に展開・発展 「風土Landschaft」: 一定の地理的空間における共同社会と生活的自然との一体的かかわりの全体 →風土の三つの基本ポイント ①人間の共同性 (諸個人の共同関係、文化生活様式の共有性、身体的振る舞いと感覚の同一性) ②生活的自然の諸事象との具体的身体的な関わり ③このかかわりの自然調和性・場所的一体性 ○感想 「系譜」といいながら各時代の目立つ思想を散文的に取り上げるのみで、系統立てて纏められているわけではなく、おまけ程度の内容で筆者のやる気のなさが感じられた。とはいえ取り上げられた個々の思想家について自分で調べたことでかなり勉強になった。親鸞が熱かった。 ○参考文献 尾関周二・亀山純生・武田一博編著『環境思想キーワード』青木書店、2005 岩崎允胤『日本思想史序説』新日本出版社、1991 古田武彦『親鸞 人と思想8』清水書院、1970 E.ハーバート.ノーマン『忘れられた思想家―安藤昌益のこと―』岩波新書、1950 亀山純生『環境倫理と風土―日本的自然観の現代化の視座』大月書店、2005
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2010.11.29 亀山ゼミ 輪読 『人間と価値』亀山純生著、青木書店(1989年) 第二部第3章四・六(P110~116、122~125) 担当:菊地明暢 第二部 価値への視座 ―価値論のタイプと“よくある”価値観― 第3章 価値論のタイプ 四 価値は結局はじめから決定されているか ―客観主義の価値論― 1 “価値=決まり”論と客観主義 客観主義(価値客観説): 価値=事物それ自体に内在するもの、評価者の主観的状態から独立に存在するもの …リンゴの「よさ」はもっぱらリンゴ自身の性質によるのであって、誰が評価しても「よい」と一致する(はずだ) ex) プラトンのイデア論、中世のキリスト教哲学、近代の観念論哲学 価値客観説は規範的価値についてよく見られる →諸個人の思惑や心情を超えて価値は決定している;“価値=決まり” 2 プラトンのイデア論 イデア:「見られたもの」「形」 …人々がさまざまなものについて「善さ」を認めるのは、そこに絶対的かつ不変の純粋な善さ(「善のイデア」)があるから 価値=対象内在的、諸個人の主観性から独立した客観的存在 問題点:客観的な存在はよきものとしてのみ存在することになり、結局客観は理念・観念的存在に還元されてしまう →観念的存在が真に普遍的(客観的)であるか?どのように諸個人に認識・実現されるのか? 3 デカルトの価値論 善は人間の自然的存在と人間の本質に内在しているが、それ(善)は理性による合理的(客観的)認識をとおしてのみ現実には存在しうる:“穏やかな”価値客観説 →価値客観説の功罪を検討する素材となりうる ①価値(善)を人間の普遍的本質(自然も含めて)に内在するとすることによって、価値の客観的普遍的側面を、したがって諸個人に対する規範的価値の前提性を明瞭に析出している ②客観としての価値は、日常的な経験世界をこえて(その背後に)存在するとされることにより、経験世界を生きる諸個人にとって理念として行為を導く基準たりうることを明確にしている ③しかし、客観主義的価値論は存在に価値そのものを内在させるために、事物の客観主義的認識(事物認識)に価値認識を還元するとともに、事物と価値を混同することになる 仮に人間が心身合一でありその本質が意思の自由であることが客観的事実であるとして、それがなぜ善なのか?←説明され得ない(論理的前提) → 特定の歴史的社会的な価値を絶対的に普遍化する 事実認識そのものもそこに前提された価値によって歪める 危険性 ④善・悪ないし価値一般を諸個人の欲望から完全に遮断することの問題性 感情・欲望を価値の基準としない→価値=規範的なもの(理性) 価値=精神的(理性的)→非精神的(感性的)=欲望(=動物的、自然的)=非(反)価値? ↑人間は社会的文化的存在であり、欲望も単純に動物的であるとはいえない ⑤個人とその対象が社会的関係のうちにあり、したがって主体・客体が社会的関係によって規定されて現実には具体的な歴史的内容をもつことをみない デカルト—ホッブズ、客観主義—主観主義に共通 (主体:抽象的非社会的個人 客体:抽象的非社会的物体) ∴価値の現実的な歴史的社会的内容を・・・ 客体の抽象的非社会的性格ゆえに、個人の主観的状態に還元(主観主義) 主体たる個人の抽象的非社会的性格ゆえに、客体または存在に還元(客観主義) ex)心理学主義、自然科学主義、生物学主義
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使う時期や家族構成で選ぶ ◆産まれてすぐから =A型、もしくはそれに類するフラットに近い形状になるベビーカー。 体重が7kgくらいまでであれば、ベビーキャリア(スリング、だっこひも)などを 使ったほうが機動力が高まり楽に感じることも。 ◆よくわからない =6ヶ月まではレンタルベビーカーやベビーキャリア(スリング)でしのぎ、 その後、ゆっくりバギータイプを選ぶ。 子どもの好みやその時のライフスタイルも把握した上で選べるのが良いところ。 ◆4歳くらいまで使いたい =強度を重視したもの、欧米ブランドのベビーカーがおすすめ。 ◆兄弟がいる =子ども乗せ自転車に予算をかけた方が、安上がりで便利なことも。 主な移動手段 ◆公共交通機関 =軽くてコンパクト、畳みやすい、持ち運びやすいもの。 使う時間帯によっては、ベビーカー自体が迷惑になるので、ベビーキャリアに予算をかける。 ◆徒歩 =走行性能(回転最小半径、振動吸収性、段差乗り越え性能など)、 ハンドルの種別や高さ、使っているときの剛性感。 ◆自転車 =ベビーカーを慌てて購入するよりも、 自転車としっかりしたベビーキャリアを重視するのがおすすめ。 ただし、子ども乗せ自転車は子どもが1歳になるまで乗せられない。 主な使用環境と目的 ◆保育園への往復 =保育園にベビーカーを置く場合、自立式はマスト。 ◆買い物など街中を長時間移動 =ハーネスの形状がしっかりしている、小回りが効く、全体のサイズがコンパクトにまとまっている、 振動吸収性に優れる、ずり落ちないようなシート設計など。 赤ちゃんの立場に立った、快適性も重要。 ◆踏み切りや段差が多い =タイヤ径が大きく、踏破性が高いベビーカーだと赤ちゃんも大人も快適。 ◆階段が必ずある =軽さとコンパクトさ重視のベビーカーや、ベビーキャリアが便利。 ◆玄関先に置く =畳むとコンパクトになり、自立するタイプがおすすめ。 主に国内ブランドが得意とする機能です。 ◆使用する人の体型 ◇160cm以上の人 =ハンドル高が100cm以上あると使いやすいが、ハンドルに荷物をかけるとバランスを崩しやすい。 ◇160cm以下の人 =コンパクトな作りの日本製ベビーカーがおすすめ。
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